No.14 スマイル文化で世界平和はやってこない
November 8th, 2009 by Kay Ohara
怒りの鉄拳などという名前のついたコラムを毎月書いているぐらいだから、どちらかと言えば私は人生を悲観し、普段から不平不満が多く、心の底にいつもグツグツと当て所のない怒りを滾らせている嫌な人間である。
とりあえず、その怒りの矛先は世の中の不公平とか、どこかのバカ息子元大統領とか、ウォールストリートの金持ち階級とか、漠然とした対象であることが多いので、あまり周囲の人に迷惑はかけていないつもりなのだが。
なのにアメリカでしかめっ面をして歩いていると必ずと言っていいほど通りすがりの人に「スマイル」を強要させられる。
「どうしたの、お嬢ちゃん(どう見たってこっちはオバサンだけど、ま、相手はジジイだからそんなもんか)、笑って、笑ってー」とか、「そんな顔してるとほんとに不幸になっちゃうよ」とか、「せっかくの美貌が台無しだよ、ほら、スマイル見せて」ってな具合に。
余計なお世話だ~!とさらに怒りが増すのだが、そんなくだらんケンカを売ってもお互いに何の得にもならないだろうと、一時しのぎの引きつった笑いを見せてやりすごしている。

PHOTO : Paul Hart
まぁ、気持は持ちよう、というのはわかっている。「笑う門には福来たる」というのもあながちウソではあるまい。
コップに半分の水が入っている時、それをhalf full(半分いっぱい)と言うのが楽天家で、half empty(半分空)というのが悲観的な人、とよく言うが、私にしてみれば「半分は半分であって、いっぱいでも空でもない」というのが真理。
アメリカ人と言えば根明で楽天的なお国柄なんだけど、これが果たして良いことなのかどうか、最近疑問に思うことが多い。
本で言えば、一時期『シークレット』という本がバカ売れしたのを思い出す。
お金持ちになりたければドル札見て暮らせ、みたいな短絡的なポジティブ思考を推進する内容で、日本でも売れた。自己暗示が現実になる、と説いているわけだ。
もう一つ、数年前にベストセラーになった本に『チーズはどこへ行った?』というのがあった。
いきなりいつものチーズがなくなれば、不平不満もあるだろうに、文句なぞ垂れてないで、さっさと次のチーズを探せという内容。それって、何も考えないネズミになれってことなの?とこれも不思議だった。
ところが、世の中には世界規模の不況だの、いつまでたっても終わらない戦争だの、気候の温暖化だのと、笑って済まされない深刻な問題が山積みになっているわけで、ニコニコしたぐらいで解決するなら私だって笑っているはず。
このポジティブシンキングがアメリカに広まったのは最近のことではない。
元々アメリカ大陸にやって来たプロテスタントの人たちの中でも、カルヴァン派という暗ーい、悲観的な宗派に対抗する明るい考え方を提唱したフィニアス・クインビーという人が18世紀中頃に書き留めたものを、メアリー・ベーカー・エディーという人がクリスチャン・サイエンスとして根付かせたところから始まっている。
アメリカで週末の夜中にテレビをつけると、ジョエル・オスティーンだの、リック・ウォーレンだのと、「メガチャーチ」を率いるリーダーたちが大勢の人に「神を信じて明るく過ごせば、幸せになれまーす」とやっているのを観ることができる。
宗教だけではなく、ビジネスにもポジティブシンキングの考え方が取り入れられて、トム・ピータースみたいな人が持ち上げられているが、本来、ビジネス上の決断をするには、洞察力とか、分析力とか、複雑な思考に根付いた決断が求められて然るべきではないのか?
私が「いつも明るくニコニコ」が嫌いなのは、そこで思考が停止するからだ。
ちゃんと考えぬいて解決しなければならない問題に直面していても、笑っていればどうにかなるさ、では本当に問題は解決しない。
なのにアメリカでは、ガンになっても、失業しても、失恋しても「笑ってろ」と言われる。
明るく、前向きになったところでガンは治らないし、仕事が降って湧いて出てくるわけではない。(笑っていた方が新しい恋人ができやすいだろう確率についてはとりあえず否定しないが。)
何年こっちに住んでいても、この強制スマイルに馴染めない。というわけで今日もまた口を「へ」の字に曲げて、世の中を憂えている私なのであった。














